車椅子バスケットボール
競技団体名:日本車椅子バスケットボール連盟
- 競技紹介
- バスケットボールは、1890年代初めにアメリカで生まれましたが、車椅子バスケットボールは1940年代にアメリカの米軍退役軍人病院において始まったとされています。
また、同時期にイギリスのストーク・マンデビル病院のルードウィッヒ・グットマン博士により、脊髄損傷者のリハビリテーションを目的とした車椅子ポロや車椅子バスケットボールが行われるようになりました。この二つの流れが1950年代に一つになり、各国に車椅子バスケットボールが広がり、1960年にローマで開催された国際ストーク・マンデビル競技大会(第1回パラリンピック)から公式競技となっています。
国内では、1960年頃、大分県の国立別府病院は神奈川県の国立箱根療養所などで紹介され、1961年に別府病院の中村裕博士の提案で、第1回大分県身体障害者体育大会において車椅子バスケットボールがデモンストレーションゲームとして行われましたが、全国への普及という点では、1964年に開催されたパラリンピック東京大会が大きな契機となりました。
パラリンピック東京大会が開催された.3年後に、東京で我が国初めてのクラブチームが誕生し、その後千葉、長野、大分、静岡などの障害者施設に次々とクラブが生まれていきました。これらのクラブは互いに交流試合を行い、やがて1970年に東京にて第1回車椅子バスケットボール競技大会が開催され、この大会は現在では日本車椅子バスケットボール選手権大会として発展しています。また、この大会の実績が認められ、パラリンピック東京大会の翌年から始まった全国身体障害者スポーツ大会(2001年より全国障害者スポーツ大会)でも、第8回大会より正式競技として取り入れられています。そして1975年には、日本車椅子バスケットボール連盟が設立され、国内での普及が本格してきた事によって国際大会への参加も検討されるようになり、1976年に初めて日本代表チームが派遣されました。
ルールは一般のバスケットボールに準じていますが、(コートの広さやリングの高さ、ボール、時間なども同じ)、車椅子の特性を考慮し、ボールを保持しアt状態で2プッシュまで車椅子をこぐ事が認められています(連続して3プッシュ以上するとトラヴェリング)。また、ダブルドリブルは適用されず、ドリブル動作が一度止まっても、またドリブルをする事ができます。
使用する車椅子は、回転性能や敏捷性、あるいは高さなど、プレイヤーの特徴を活かす専用の車椅子が用いられます。ボールハンドリング技術はもとより、車椅子の操作性が重要な要素となります。
さらに、車椅子バスケットボールの選手は、1人ひとりが障害の程度に応じて、1.0点から0.5点きざみで4.5点まで、持ち点でクラス分けされています。一番障害の重たい選手が1.0点で、4.5点が一番軽い選手となります。そして、常にコートでプレイする5人の選手の持ち点の合計が、14.0点以下でなければなりません。